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日本の音楽史に燦然と輝く、永遠に色褪せない名盤『A LONG VACATION』

 今回は1981年にリリースされた通称“ロンバケ”こと、大瀧詠一の『A LONG VACATION』をご紹介します。“邦楽の名盤”、あるいは“邦楽ポップス”というよりも、和洋を問わずポップスの名盤を語る上で絶対にはずせない、まさに金字塔とも言えるアルバム。また、本作は日本におけるCD作品の邦楽部門の第一号(CDを想定したレコーディングではない)という記念すべきアルバム。現行CDは過去に何度もリマスタリングを重ね、生前の本人も出来映えに納得の30周年記念エディションの『A LONG VACATION』(2011)です。

 昨年末、FMラジオを聴きながらクルマを走らせていた私の耳に飛び込んできた、大瀧詠一、突然の訃報は、「エーッ」と大声で叫んでしまうほどショッキングな出来事でした。12月30日の夕刻に自宅で倒れ、病院に搬送されたものの、蘇生はかなわなかった様子で、午後7時頃に死亡が確認されたそうだ。死因は解離性動脈りゅう。私も含め、ほとんどのファンは大晦日の日にそれを耳にし、悲しみに打ちひしがれながら年を越したはずだ。さすがに、新年を迎えれば条件反射のように脳内に流れるはっぴいえんどの「春よ来い」も、さすがに聴こえなかった。

 日本の音楽界は大きな星を失ったようなものだった。亡くなられて半年を過ぎた現在でも、その損失を惜しむ声は途切れることはなく、音楽界のみならず、出版界でも彼の業績を辿るアンソロジー的な編集のムックが何冊も出ている。全てに目を通したわけではないが、どれも読み応えのある充実した内容のものになっている。特にレコード・コレクターズ誌から出されている『レコード・コレクターズ増刊 大瀧詠一 Talks About Niagara コンプリート・エディション』は、生前の大瀧詠一のロングインタビューを掲載したもので、質問者の萩原健太氏との会話、その脈絡の隙間から、大瀧詠一の肉声がリアルに伝わってくるような気がする。そこから彼の音楽のマジックを多少なりとも知ることも出来るかもしれない。機会があれば、ぜひ手に取られるとよいかと思う。ともあれ、手にすべきは本よりCDだ。

社会現象となった“ロンバケ”

 このアルバムを耳にしたのは1981年のリリース直後のことだったと思う(正式な発売日は1981年3月21日)。発売されるだいぶ前から大瀧詠一がはっぴいえんど解散後、かつての盟友、松本隆と久々に組んだアルバムが出るという情報を得ていたので、ショップに行かなければと思った矢先に2歳上の兄が先に買っていて「これはすごいわ」と肝心の音を聴くより先に、アルバムの感想を熱っぽく聞かされる羽目になった。ちなみに、先を越されてアルバム入手の機会を失った私が“ロンバケ”の代わりに買ったのが、これは後になって知ったのだが、“ロンバケ”と同日発売だったYMOの『BGM』だった。
 ショップに行ってみると、ディスプレイはすでに他のアーティストとは比較にならないくらい、“ロンバケ”に圧倒されており、永井博によるジャケットのイラストレーションを盛大に使ったポスターやPOPが邦楽コーナーの一角を彩っていた。店内のBGMも“ロンバケ”がガンガン流されていた。アルバムジャケットのイメージと音楽がこれほど寄り添っている例も珍しく、アメリカンポップスとトロピカル(安易な発想だと思ったが)な雰囲気を一緒くたにして魅了されていた人たちも多かったように思う。また、大瀧詠一本人が歌謡番組に出演などしないから、テレビから“ロンバケ”が聴こえてくることはなかったが、ラジオをつければ連日のようにこのアルバムが流れ、アルバムを持っていないのに、ほとんどの収録曲を耳にできてしまうという、凄まじい状況が続いていたことを覚えている。そう、雑誌やラジオといったメディアも、広告やCMを通して盛んにこのアルバムをPRしていたと思う。そういったメディアミックスの影響もあり、はっぴいえんどの大瀧詠一を知るリスナーよりも、まるで新進のシンガーソングライターなのか? 大瀧詠一って誰? でも、すごくいいネ! というリスナーに、アルバムは飛ぶように売れていったのだ。
 この前年には田中康夫が『なんとなくクリスタル』を発表し、“ロンバケ”と同じ81年の芥川賞の候補になって、こちらも社会現象を引き起こしていた。ボートハウスのトレーナーやコールハンのデッキシューズ、それからそれから…今では名前すら思い出せないブランドファッションに身を包んだ同世代の若者が、これも必携アイテムであるかのように、『A LONG VACATION』も手にしていた。それも今では懐かしい。

 兄が買ったはずなのだが、私の手元にはなぜか1981年のリリース直後に買われた『A LONG VACATION』のLPがある。久しぶりに棚から抜き出して、ところどころシミの浮いたジャケットを眺めると、あまりにも唐突に向こう側へ旅立ってしまった大瀧詠一のことがどうしても頭をよぎってしまい、寂しさに包まれてしまった。それでなくても、このジャケットが醸し出してくる“寂しさ”を、発売当時から私は感じていたのだが、一般にはどう感じられていたのだろう。
 人気のないプールサイド、夏休みの終わった翌日のような昼下がり。
 それとも、人類が滅亡してしまった午后の風景?
 夏のようだけど、実はセーターの1枚でも欲しくなるような真昼のプールサイド。
 廃業したホテルのプールに見えなくもない...。

 店頭を彩っていたトロピカルで夏の開放的なイメージと、アルバムが実は内包している醒めた空気感のようなものを、私はいつも感じていた。ブライアン・ウィルソンが書くビーチ・ボーイズの歌がそうであるように。アルバムの大半を占めるラブソングにしても、まるで成就しそうにない恋愛、情念よりも理性を優先してしまう醒めた恋愛、熱くなるなんて恥ずかしい、とでも言いたくなるような恋…等々。クールなラブソングの裏側で、相容れない関係性、不条理な世界を感じたりしていた。あくまで私の勝手な妄想なのだが。

 久々にアルバムを聴きながら、簡単にではあるけれど全曲解説をやってみようかと思う。

1.「 君は天然色」

 アルバムの冒頭を飾るに相応しい大名曲。アンサンブルが波のように押し寄せ、胸躍るカウント、そして永遠に色褪せないだろう大瀧詠一のヴォーカル。初めて聴いた時、部屋中に色彩の渦が流れ込んできたような高揚感に包まれたものだ。本アルバム全体を通して頻繁に語られる“ウォール・オブ・サウンド=フィル・スペクター”の影響を最も堪能できる曲とも言える。押し寄せる音の壁、凝りに凝ったバックのアレンジ。そこかしこに埋め込まれているというポップスの魔法は若造の時分には分からなかったが、そんなことにこだわるよりも、今もこの曲の素晴らしさは忘我の境地に誘われる。アルバム中最長、5:06秒の至福。

2.「Velvet Motel」

 大瀧詠一のヴォーカリストとしての力量を示す曲でもある。裏声やヨーデルっぽい唱法を駆使しながら、流麗に歌う。演奏はとんでもなく複雑だ。とりわけ想定されるパターンをことごとく逸脱しているようなドラム(上原裕、林立夫?)のパターンは複雑。それでも、とことんポップなこの曲に違和感なく響くのは驚き。

3.「カナリア諸島にて」

 「君は天然色」のB面としてシングルカットされた。A面でもヒットが狙えるほど魅力的な曲だから、これは何と贅沢なシングル盤だったのかと、今さらながら呆れてしまう。カナリア諸島というのはアフリカ大陸の北西沿岸にある、7つの島からなるスペイン領の群島だそうだ。作詞をした松本隆はアルバム制作当時、ここに行ったことはなく、大瀧詠一が作ったデモ音源の中で、“カナリアン・アイランド~”と呟くフレーズをもとに、歌詞を書いたという。大瀧詠一本人は79年に本を読んでいた時にふと浮かんだメロディーをもとに、瞬く間にこの曲を書き上げたらしい。その自信が『A LONG VACATION』の制作のきっかけになったとも言われている。

4.「Pap-Pi-Doo-Bi-Doo-Ba物語」

 この曲だけは作詞も大瀧詠一本人が手がけている。アルバム中飛び抜けてアップテンポのこの曲がLP時代、CD時代になってもいいアクセントになっていることに気付く。もとはCM用に制作された「大きいのが好き」という曲を発展させた曲だそうだ。ドゥーワップの合い言葉風の“Pap-Pi-Doo-Bi-Doo-Ba”を、コーラスではなく、この曲の中ではあえてシンセ音で作っている。

5.「我が心のピンボール」

 この曲も大瀧詠一のヴォーカルが冴えている。ファルセットを駆使しながら、ロックシンガーのようにワイルドに歌い、時にはシャウトも。主役を盛り立てるように、気合いの入ったリードを決めるのは鈴木茂だ。はっぴいえんど時代とは空気感も歌われている世界も違うけれど、切なさを伴った、全然甘くないラブソングに、何となくらしさを感じてしまうのは気のせいだろうか。

6.「雨のウェンズデイ」

 そんなふうに、はっぴいえんどの影を追い求めてしまう古いファンはこの曲を喜んだことだろう。松本隆は歌詞のみで演奏には参加していないけれど、ここではベースに細野晴臣、ギターは鈴木茂と、はっぴいえんど全員集合だ。LP時代はこの曲からB面はスタート。スローテンポでしっとりと歌われるこの曲のもつ倦怠感、諦観に近い恋愛観は松本隆にしか書けないものだ。

7.「スピーチ・バルーン」

 曲そのものは、はっぴいえんどで活動中の1969年頃にできていたものらしい。自分のソロ作に収録しようと何度も試みたり、他のアーティストに提供しようとしたものの、適当な歌詞が付けられずに発酵させていたようだ。松本隆の詞を得てようやく完成したスローバラード。実はPP&Mの「パフ」がモチーフになっているのだとか。聴いてみると確かに…。しかし、打ち明けられるまで、まったく分からなかった。

8.「恋するカレン」

 もう1曲“ウォール・オブ・サウンド=フィル・スペクター”の影響を感じさせる代表的な曲となると、この曲だろう。大編成セッションで実に密度の濃い演奏が繰り広げられる。この曲もフォー・シーズンズ、アーサー・アレクサンダー、B・J・トーマスをはじめ、たくさんのオールディーズポップスのエッセンスが振りまかれている。それにしても、アルバムに付けられた松本隆の歌詞を、文字面だけを追っていると実に細切れなものだが、大瀧詠一のヴォーカルが入った途端に、物語が流れ出すというか、Singingに乗ると、劇的にストーリーが膨らんでいく。“カレン=Karen”とは誰のことだろうか。

9.「FUN×4」

 いくつものオールディーズのポップスがネタとして散りばめられているのだが、そのひとつがビーチ・ボーイズの「ファン・ファン・ファン」であるのは、さすがに分かるだろうか? まぁ、別にそういうことを意識しないリスナーにも、曲の要所要所にトラップのように、何かが仕掛けられていることは感じられるかもしれない。凝りに凝ったアレンジが、モザイクのように入り組んだそうした仕掛けを違和感なくぴったりとはめ込み、楽しいノヴェルティソングに仕上げている驚きのセンスにはひれ伏すしかない。演奏者だけでも充分豪華なのだが、この曲はゲストが華やかで、シャネルズ(ラッツ&スター)、太田裕美、五十嵐浩晃らが参加していることでも話題になった。

10.「さらばシベリア鉄道」

 アルバム最後を飾るこの曲も冒頭の「君は天然色 」と人気を二分するくらいラジオでもリクエストが多かったと聞いている。本作にもゲスト参加した太田裕美がカバーして、そちらも大ヒットした。ちょっと他の曲とサウンドの色彩が異なるような気がするかと思う。この曲は英国のプロデューサー、ジョー・ミークへのオマージュとなっている。ミークは50年代から60年代にかけて活躍し、トーネードーズを手がけるなど、現在の言い方でいう“音響派”みたいな音職人。他の曲がフィル・スペクターを筆頭に米国風味であるのに対し、この曲は英国というわけではないが、鈴木茂のギターも思いっ切りエコーがかかり、ノスタルジーを感じさせる。しかも、アルバムジャケットのイメージが“アメリカ”であるのに、なぜにこの曲は“シベリア”なのかと、初めて聴いた1981年当時も不思議に思ったものだ。

 とにかく名曲揃い。曲がエンディングを迎えると、次の曲のイントロが流れ始めるのをワクワクしながら待つ…というようなアルバムはなかなかないと思う。本作以降も大瀧詠一は84年に自身にとって初めてオリコン・チャートで1位に輝いたヒット作『EACH TIME』も発表し、それも甲乙付けがたい傑作なのだが、彼がはっぴいえんど以前から積み重ねてきた音楽探究の集大成と呼べそうなのが『A LONG VACATION』だと言えるのではないかと思う。

 大瀧詠一に 『A LONG VACATION』を作らせたのは、はっぴいえんど以前に、彼が青春時代に耳にしてきたさまざまな洋楽体験ということになるのだろう。早熟な大瀧少年は小学生の頃からアメリカンポップスに傾倒、鉱石ラジオで米軍極東放送(FEN)を聴いてはレコード収集も開始、エルヴィス・プレスリー登場以降のロックンロールをかなり分析的に聴いていたという。一方、海の向こうの音楽のみならず、大瀧詠一の日本のポップスへのこだわりはよく知られるところだ。サウンドに徹底して凝り、考え得る限りのアレンジを凝らしながら、歌ものに収斂していくところなど、その折り合いの付け方には心底驚かされる。アメリカンポップスへの拘りを感じる音楽なのに、どこか歌謡曲の総まとめみたいに聴こえる感じがするのは不思議というか...。松田聖子をはじめ、森進一や小泉今日子、薬師丸ひろ子のような歌手へも楽曲提供も行なっていく大瀧詠一なのだが、本作だけでなく、他のソロ作、ナイアガラ・レコードからリリースされた諸作に耳を傾けていると、彼自身の音楽活動がそのまま戦後歌謡曲を俯瞰し、日本のポップス史の歴史に重なるように思えてくるところがあるのだ。

 というわけで、せっかくだから大瀧詠一のヒストリーをここで振り返っておこう。細かく書くには中身が膨大になり過ぎて収まり切らないし(詳細を知るなら、まだ当分は店頭にも並んでいるだろう大滝詠一の追悼号の類を目にされるとよいかと思う)、あえてかいつまんで紹介しておく。

 公に知られる彼の音楽活動は、1969年の はっぴいえんど にさかのぼる。大瀧詠一、細野晴臣、松本隆、鈴木茂。この4人が織りなすサウンドは、当時の日本ではまだ知られていなかったバッファロー・スプリングフィールドやモヴィー・グレイプなどをはじめとした海外のアーティストの音楽性を取り入れつつ、日本語表現を巧みにサウンドに乗せ、後のジャパニーズロック、あえていえばJ-POPの基を作った伝説のバンドといっても良いかもしれない。以前、本コラムでも取り上げた彼らの名盤『風街ろまん / はっぴいえんど』(http://okmusic.jp/#!/news/30445)の項は、ぜひ併せてお読みいただきたい。はっぴいえんど活動中の1971年にソロ活動を開始し、アルバム『大瀧詠一』(1972年)を発表。さらには73年にバンドを解散した後、翌年には自らが作詞・作曲・編曲・プロデュース・エンジニア・原盤制作などをこなすプライベートレーベル「ナイアガラ・レコード」を設立し、エレックレコードと契約。自身のソロ作品だけでなく、例えば吉田美奈子 への楽曲の提供( 「夢で逢えたら」 )、さらにはCM音楽制作、シュガー・ベイブ などの他のアーティストの作品もプロデュースし、アルバムを発表していく。ところが、母体のエレック・レコードの倒産があり、ナイアガラ・レコードは1976年にコロムビア・レコードに移籍、以降、活動のベースとなる福生45スタジオに当時最新鋭のマルチトラックレコーダーを導入し、旺盛なアルバム制作に没頭する。しかし、マニアックな音楽性にセールスは結び付かず、1978年の『LET'S ONDO AGAIN』を最後にコロムビアとの契約を解消。ナイアガラ・レコードも休業状態に陥る。と、それ自体はとても残念な結果ではあったが、ある意味で身軽になった大瀧詠一がしばしの休息の後、約1年のレコーディング期間をとって制作したアルバム、それが 『A LONG VACATION』だったのだ。

 相応しい音に落ち着くまで、何世代も試行錯誤が繰り返された“ロンバケ”CD

 さて、本作が1981年3月21日に世に出た時、最初のフォーマットはLP/アナログだったのだが、発売からほぼ1年半が経過した1982年10月1日、記念すべき日本におけるCD作品の邦楽部門の第一号として、装いを新たに店頭に並ぶことになった(洋楽部門はビリー・ジョエル(Billy Joel)の『52nd Street /ニューヨーク52番街』)。まだ物珍しいものであったCDは確か3,000円以上したし、LPでひと通り音に触れた身としては、CD盤の『A LONG VACATION』を買いたいという衝動はまったく起こらなかった。ちなみに、私が初めて買ったCDはニール・ヤングの『After The Gold Rush』だった。デジタル化され、曲の隅々まで楽器の音色がよく聴こえるというのが当時のCDの触れ込みだったので、アコースティックギターの聴こえ具合を確かめてやろうとして、試しにニールのアルバムを選んだのだったが、全然感激するほどのことはなかった。同様に、CD盤の『A LONG VACATION』がセンセーショナルな話題を起こすことはなかった。というか、買って聴いた人の多くがガッカリしたらしい。そのCD化作業に関与していなかった大瀧詠一本人の落胆ぶりはその比ではない。

 当時のCD化に用いるPCMプロセッサが技術的に未熟だったこともある。何よりもデジタル化されたデータをそのまま焼いてしまったという程度のレベルでのCD化であったらしく、この世に出た中で最悪の“ロンバケ”だと大瀧詠一は嘆いている。その後、デジタルリマスターの機器の進化もあり、早くも89年にはリマスターCDが登場(なぜか「さらばシベリア鉄道」が未収録)。さらに、91年には『CD選書』シリーズの1枚としてさらに音質が向上した『A LONG VACATION』がリリースされる。それから10年後の2001年には20周年記念エディションとして、またまた『A LONG VACATION』のリマスター盤が出る。この盤には全曲のInstrumentalバージョンがボーナストラックとして追加されている。ここで、大瀧詠一自身も一定の満足を得ていたようなのだが、それから10年後、どこかの工場の奥から(浜松工場)ほとんど劣化していないオリジナルのマスターテープが発見され、それをもとに新たに30周年記念エディションが再度制作され、2011年3月21日に発売される。これが現在のところ、最新の『A LONG VACATION』となっている。体裁は2枚のディスクからなる。1枚目は彼自身も納得の『A LONG VACATION』のオリジナルリマスターが、もう1枚は大瀧詠一の言うところの“純カラオケ”という、これまた全曲のInstrumentalバージョン+「君は天然色」オリジナル・ベーシックトラックが追加されている。

 私もついに、この30周年記念エディションの『A LONG VACATION』を買って聴いたのだったが、もちろん音質の向上は大きな喜びだったが、1981年3月21日に出たアナログLPに親しんだ音の記憶とさほど違わないものだった。最近知ったのだが、30周年記念エディションの『A LONG VACATION』を制作するにあたって陣頭指揮を執った大瀧詠一の指示というのが、あくまでアナログ盤『A LONG VACATION』以上のものにする必要はない、アナログ盤の音に戻そう、というものだったのだそうだ。

 こうしていっぱい書いてきたが、大瀧詠一作品としては、『A LONG VACATION』のすごさに今さらながら圧倒されているのだが、一方ではっぴいえんど在籍中の1972年に発表された初のソロアルバム『大瀧詠一』のシンガーソングライター的な佇まいが残る作品にひどく愛着を感じている。大瀧詠一(Vo&Gu)、細野晴臣(Ba)、松本隆(Ds)、林立夫(Ds)、鈴木茂(Gu)、松任谷正隆(P)、宇野主水(P)、多羅尾伴内(大瀧本人)(Per&Vo)、イーハトーヴ田五三九(Ds)、吉田美奈子(P/Fl)、シンガーズ・スリー(Cho)、駒沢裕城(Pedal-steel)といった面々が参加したアルバムは、はっぴいえんどと同じ、ベルウッド・レーベルからリリースされたもので、内容もアルバムに漂う佇まいも極めてはっぴいえんどに近い。こちらもぜひ、併せて聴いていただきたい傑作だ。もちろん、CM音楽もいっぱい手がけ、そうした音源を詰め込んだナイアガラ・レーベルの諸作、プロデューサーとしての手がけた名盤『ソングス / シュガー・ベイブ』(本コラムでも紹介 http://okmusic.jp/#!/news/31537)も大瀧詠一の残した偉業のひとつであり、ぜひチェックしていただきたい。

 師弟関係でもあった山下達郎という存在はあるにせよ、大瀧詠一のような才能は不世出といえる。彼が日本の音楽界に及ぼした影響とその損失の大きさは、これからもジワジワと効いてくることだろうと思う。ロックやフォークはもちろん、R&B、ソウルミュージック、オールディーズ、そして歌謡曲まで。サニーデイ・サービスやくるりといったバンドにはすでに大瀧詠一の影響を感じることができるが、残された音源が、新しい世代のアーティスト、プロデューサー、レコーディング・エンジニアにどう聴かれ、才能が継承されていくのか、とても楽しみでもあるのだ。

  • minp!音楽ニュース(2014年08月20日)
  • 制作協力:okmusic UP's