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日本の音楽シーンにロックバンドを根付かせた最大の功労者、プリンセス プリンセスの傑作『LET'S GET CRAZY』

3月11日、東日本大震災の復興支援義援金によって宮城県仙台市に建設されたライヴハウス『チームスマイル・仙台PIT』にて、そのこけら落とし公演を行なうプリンセス プリンセス。本公演が2012年、東日本大震災をきっかけに集結した期間限定再結成の締め括りとなるらしく、少なくとも以後しばらくバンドとしての活動は休止となるわけで、ファンならば見逃せないところ。さすがにチケットはソールドアウトしているが、全国の映画館でのライヴビューイングも決定しているので、スクリーンでバンドの雄姿を見守ることもできる。本コラムでも急きょプリンセス プリンセスを取り上げてみたいと思う。

プリプリ最強最高バンド説

本稿作成のため、アレコレ調べていたら、「実はプリンセス プリンセス(以下プリプリ)が邦楽史上最もすごいバンドではないか?」という思いがふつふつと頭をもたげてきた。ガールズバンドで…ではなく、日本の歴代全バンドの中で最強最高ということだ。そりゃあ、BOØWY、レベッカ、THE BLUE HEARTS、ユニコーンら、1980年代終盤から90年代前半のバンドブームをけん引したアーティストたちはどれもすごいレジェンドではある。BOØWY、レベッカはバンドが奏でるロックミュージックを日本の一般リスナーに知らしめ、THE BLUE HEARTSやユニコーンらはロックの多様性を浸透させた。その結果、ロックバンドの楽曲がチャートインすることも当たり前になったし、ロックバンドがアルバム中心、ライヴ中心で活動することも認知されるようになったと思う。いずれも邦楽史においてなくてはならない存在であったことは間違いないが、プリプリの活動時期と、そこでの実績を鑑みると、(かなり大袈裟な物言いであることを承知で書くが)前述のバンドたちもプリプリの功績があってこそ輝いたのではないかとすら思えてならない。

日本の音楽シーンの中心は長らく歌謡曲であった。70年代後半から所謂ニューミュージック勢もチャートを賑わせるようになるが、やはり強いのはアイドルであり、その傾向は80年代後半のBOØWY、レベッカの出現するまで続いていく──と言いたいところだが、今回調べていてBOØWY、レベッカも即ちシーンの地殻変動を起こしたわけではなかったことも分かった。レベッカは1985年、シングル「フレンズ」の大ヒット、アルバム『REBECCA IV 〜Maybe Tomorrow〜』のミリオンセラーでシーンに躍り出たものの、当時の女王、中森明菜の牙城を崩すには至らなかった(年間売上はかなり肉薄したので快挙であったことは間違いないが)。BOØWYにしても87、88年の年間売上でベスト10入りを果たしているが、87年は女王、明菜には及ばず、88年はその年間売上が2位を記録したものの、金額ベースではその年の1位であった光GENJIに大分差を付けられている。これは何も彼らの功績を揶揄したいのではなく、こと売上高で見ると、レベッカとBOØWYとが突出した存在だったのであり、大凡シーンにバンドやロックが根付いたとは言い難く、当時も主流は依然歌謡曲勢であったということだ。

一方、その後のTHE BLUE HEARTSやユニコーン、あるいはJUN SKY WALKER(S)、THE BOOMらはどうだったかと言えば、最盛期と言われる89~92年の売上はいずれも年間ベスト10に入ってはいない。セールスだけがそのアーティストの価値ではないことは重々承知しているし、前述のバンドたちが後世に及ぼした偉大なる功績はここでは語り尽くせないことも分かっている。だが、この時点でロックバンドが一般大衆を巻き込むまでに至っていなかったことは間違いない。ちなみに、年間売上ベスト10にバンド勢が本格的に名を連ねるのはGLAY、Mr.Children、THE YELLOW MONKEY、JUDY AND MARYがランクインした97年まで時を待たねばならない。

大衆性の高さでシーンに分け入る

さて、随分と前置きが長くなったが、そこでプリプリである。彼女たちがブレイクを果たしたのは88~89年。BOØWY解散が88年。レベッカの解散は91年だが、最後のオリジナルアルバム『BLOND SAURUS』のリリースは89年である。BOØWY、レベッカの解散とプリプリの浮上は符号している。“取って代わった”とかいう簡単な話ではないだろうが、バンド形態、女性ヴォーカルというプリプリのスタイルが両バンド無き後の受け皿となった可能性は捨て切れない。89年の年間売上ベスト10にバンドでランクインしているのはプリプリだけだ。最注目は所謂バンドブームと言われた90~92年。ここでもまた、毎年バンドでランクインしているのはプリプリだけだし、そもそもこの3年間、売上上位で居続けたのはプリプリの他では松任谷由実、B'z、DREAMS COME TRUEである。数字面で言えば、バンドブームの頂点はプリプリだったことは間違いない。そればかりか、89年を含めて4年間売上上位であり続けたバンドはそれまでいなかったわけで、この事実だけでも彼女たちのすごさが分かろうというものだろう。

まぁ、数字を検証するまでもなく、筆者のようなとても熱心なリスナーとは言えなかった者でも、彼女らの楽曲のいくつかは耳にしたことはあるだろうし、口ずさむことも可能だろう。それほどプリプリの楽曲が巷に浸透していたことは実感として思い出せる。とにかく奥居香(Vo&Gu、現:岸谷香)の作るメロディーは大衆性が高かった。また、これは邪推かもしれないが、全員女性というガールズバンドのキャラクターも活きたのだと思う。当時は、中森明菜はもとより、小泉今日子、南野陽子、中山美穂、浅香唯、工藤静香、Winkと主流はやはり女性アイドル。ガールズバンドだからこそ、そこに違和感少なく分け入れたと考えるのが普通だろう。さらに、歌詞では「Diamonds」や「世界でいちばん熱い夏」で示されるポジティブ思考、「M」に代表される揺れる乙女心が、世の女性たちのハートを掴んだのも確かだと思う。というわけで、発売時期からしてこのアルバムが彼女たちの大ブレイクのきっかけになったのは間違いないし、名曲「M」も収録されていることだし──と、正直言って若干高を括ったまま、3rdアルバム『LET'S GET CRAZY』を本コラムの俎上に載せようと聴いてみて驚いた。こんなにロックだったとは!? 高を括っていたことを反省するし、申し訳ない気持ちでいっぱいである。

ロックバンドの矜持が見える傑作

M1「GET CRAZY!」からして正統派のR&Rである。その出で立ちからして当時からバリバリ“ロック姉さん”なオーラを出していた中山加奈子(Gu)の鳴らすギターはさすがの貫禄。キース・リチャーズばりのワイルドでルーズなリフを聴かせる。M2「それなりに いいひと」もまたリフもののロックチューンで、ギターもさることながら間奏で魅せる今野登茂子(Key)のキーボードソロもいい。こちらはジョン・ロードを彷彿させる。この他、M6「夕陽がよんでいる」、M11「HEART STOMPIN' MUSIC」などもオールドスクールなR&Rナンバーだし、パンキッシュなM5「へっちゃら」の他、シンセの音色のいなたさは否めないものの、ロックのアップデイトを試みていたと思われるM7「瞳だけはみつめない」やM8「ひとりじめ」など、『LET'S GET CRAZY』は容赦なくロックバンドとしての矜持が垣間見えるアルバムである。邦楽史にその名を残すバラードナンバーM10「M」にしても、そのサウンドはしっかりロックバンドのそれになっている。奥居のヴォーカリゼーションも文句なく素晴らしい。まさしく縦横無尽。「GET CRAZY!」や「へっちゃら」ではハスキーかつワイルドに、「それなりに いいひと」ではキュートに、「瞳だけはみつめない」や「M」では情緒感たっぷりに歌っている。プリプリはメロディー、サウンドも多彩だが、そこに彼女の表現力が加わることによって、その世界観がさらなる奥行きを増しているのは間違いない。

バラエティーに富み、何よりもポップさ全開である『LET'S GET CRAZY』がプリプリ快進撃の先兵になったことは今となっては十分にうなずけるが、このロックアルバムが未だ歌謡曲中心だった当時のシーンに分け入った事実が非常に興味深い。89年、彼女たちは50億円を売上げて年間売上順位は4位だったのだが、ベスト3は1位・松任谷由実、2位・工藤静香、3位・美空ひばりである。この頃のユーミンも工藤静香もロック色が強かったので、ことさらプリプリの音が異質というわけでもなかったが、それでも彼女たちがシーンを席巻していた頃の想いを馳せると何やら清々しい気持ちにもなる。そして、以後、しばらくの間、彼女らは音楽シーンをけん引し続けた。そのことが90年代後半のバンド全盛期に直接的な影響を与えたかどうかは議論を待たねばならないところでもあるだろうが、客観的にデータを見る限り、プリプリの出現以降、歌謡曲が衰退しているし、プリプリの解散後、ロックバンドが音楽シーンの中心に躍り出ている。彼女たち自身が巨大な磁場であったと同時に、BOØWY、レベッカの偉業を受け継ぎ、後世に伝えるブリッジの役割を果たしたとも言える。プリプリが邦楽史上最強最高のバンドであることは、どうやら疑う余地はなさそうである。

  • minp!音楽ニュース(2016年03月02日)
  • 制作協力:okmusic UP's